ウクレレの歴史を変えた神様、オオタサン
ウクレレ界の神様と呼ばれるオオタサンに、貴重なお話をお聞きしました! やさしきレジェンドの笑顔は、アロハスピリットに満ち溢れていました。
公開日:2011.01.17
更新日:2017.06.14
オオタサン・スタイルと呼ばれる独自の奏法で知られ、ウクレレ界の歴史を大きく変えたとも言われる伝説のウクレレ奏者、オオタサン。ハワイはもちろん、近年日本でも大きなブームとなっているウクレレの今まで、そしてこれからについて、貴重なお話をお聞きしました。
HERBERT I. OHTA(OHTA-SAN)
ハーブ・オオタ(オオタサン)
1934年ハワイ・ホノルル生まれ。7歳からウクレレを始め、12歳でエディ・カマエ氏に師事。その後、OHTA-SAN STYLEと呼ばれる独自の奏法を確立し15歳でプロデビュー。ジャズ、ラテン、クラシック、ロックまで幅広いジャンルをアレンジし、ウクレレの可能性を大きく広げた人物。発表アルバムは70枚以上。日本にも多くのファンを持つ。
編集部:
「ウクレレ界の神様」といわれるオオタさんにお会いできて光栄です。
オオタサン:
いやいや、神様なんかじゃないですよ。日本の人はすぐに「神様」って言いたがるんですよね(笑)。私は普通のウクレレ奏者。もともと7歳のとき、母に教えてもらってウクレレを弾き始めたんですが、それだって特別なことじゃなかった。当時は、周囲がみんなウクレレを当たり前に弾いてたから、私も一緒にってそれだけです。
編集部:
師匠であるエディ・カマエ氏との出会いは?
オオタサン:
ああ。ぼくが12歳くらいの時に「ウクレレがすごく上手な人がいるぞ」っていう噂を聞いて、その人を必死で探したんです。やっと所在がわかって、ウクレレを大事に抱えて会いに行ったら、それがエディ・カマエだった。その頃は彼もまだ19歳くらいで、師匠なんていうより、よく遊んでくれるアニキみたいな存在だったんですが、とても影響を受けました。
編集部:
運命の出会い、ですね。
オオタサン:
そうかもしれません。当時、ウクレレを他人に「教える」なんてことは誰もしなかったんです。上手い人は、自分のテクニックを盗まれないように、手の動きを隠して演奏したりするほど閉鎖的な世界だった。でも、エディは、私に何でも見せたし聴かせてくれたんです。ウクレレに対して真剣に向き合ってるヤツだって認めてくれたんですね。だから、勝手に真似して練習しまくりました。彼は、本当にかけがえのない師匠です。
編集部:
では、いわゆる「レッスン」を受けたわけじゃない?
オオタサン:
いえ、違いますよ(笑)。今みたいな教則本もありませんでしたしね。だからこそ、自分で作り上げる部分が大きかったのかもしれないです。若い頃は、とにかく何時間でもウクレレを弾いてました。そのうち、ウクレレ以外の楽器の研究を始めた。小さい頃、アコーディオンを習っていたこともあって、鍵盤楽器のピアノもやってみた。もちろんギターやベースからドラム、そしてビブラフォンに至るまで研究しました。それらの良さをウクレレ音楽に取り入れられないかと思ったんです。
編集部:
それが「オオタサン・スタイル」と呼ばれる独自の奏法を生んだのですね。
オオタサン:
誰もやろうとしなかったことを、やってみただけです。もともとね、ウクレレは伴奏楽器だったわけ。コードをジャカジャカ弾いて、歌を歌う(笑)。でも、ウクレレがソロ楽器としてメロディを奏でてもいいじゃないかと思ったんです。さらに、ウクレレでハワイアン以外のジャンルもやってみたくなった。ジャズもラテンもクラシックも。もちろんロックだってOKでしょう?
編集部:
はい! もちろんそう思います。
オオタサン:
今でこそ、その範疇はとても広がっているけれど、当時はけっこうセンセーショナルだったわけですよ。ジャズっぽいウクレレなんて、理解されなかったりね。そういえば、ワイキキの某有名ホテルでバンド演奏してた頃に「ハワイアン以外の曲は弾かないでくれ。ゲストからクレームになるから」とホテル側から言われました。ハワイで聴くウクレレは、ハワイアンでなければならない…そういう時代だったんでしょうね。
編集部:
今では想像できないですね…。ところで日本語がとてもお上手で驚きました。
オオタサン:
朝鮮戦争時代、米軍海兵隊の司令官付通訳として約11 年間、韓国と日本に駐屯していたんです。それで日本語は少し話せるんですよ。ハワイへ戻ってから、正式に音楽の道へ進んだわけですが、日本との関わりはずっと深かったですね。最初にレコーディングしたのは、日本の「鈴かけの径」をアレンジして「SUSHI」と名づけた曲。これが大ヒットしたんですよ。それ以降、日本の曲を何曲もアレンジしましたね。
編集部:
なるほど。これまでに、日本での公演も数百回に及ぶとか。
オオタサン:
おかげさまで、いろいろな機会をいただいています。「東京音楽祭」に呼んでもらったりNHKの「加山雄三ショー」に出演したりね。現在も、日本でのコンサートを行っています。2010 年は4月にNYのベーシスト、クリスチャン・ファビアンと一緒にジャパンツアーに行きました。
編集部:
日本にも、オオタサンの熱狂的なファンがたくさんいますからね。
オオタサン:
本当にありがたいですね。日本のファンの方は温かい。ちゃんと演奏を聴いてくれるので、演りがいがありますよ。先日、ぼくが作ったウクレレの曲に日本語の歌詞をつけてもらってCDにしたのですが、とてもしっくりきました。日本の風土には、ハワイのウクレレ文化になじむ「共通点」みたいものがあるのかもしれませんね。
編集部:
そして日本では今、ウクレレブームが巻き起こっています。
オオタサン:
日本の多くの人たちがウクレレに興味を持ってくれることは、すばらしいこと。ハワイへ旅行に来たときに、ウクレレを習うという人が増えているのもうれしいですね。うちの息子(ウクレレ奏者のハーブ・オオタ・ジュニア)がウクレレを教えているのですが、その生徒さんも、日本の方が多いと聞いていますよ。
編集部:
私たちの周りでも、ウクレレを習ってみたいという人が多いのですが、上達の秘訣があれば、ぜひ教えてください!
オオタサン:
ウクレレについて、ちゃんと知ることが大事。楽器自体の構造や仕組みを知ると、音色の違いを感じられるようになる。たった4本の弦しかないシンプルな楽器ですが、だからこそ基礎がしっかりしていないとね。短い時間でも、毎日楽器に触れることも大切です。とはいえ、難しく考えすぎず、まずは楽しんでどんどん練習してほしいですね。
編集部:
ありがとうございます。ハワイでは、子どもから大人まで気軽に楽しめる、ウクレレイベントも多いですよね。
オオタサン:
ええ。「ウクレレ・ピクニック(毎年2月)」や「ウクレレ・フェスティバル(毎年7月)」など、ピクニック気分で1日楽しめるイベントが数多く行われています。家族やお友だち同士、ウクレレの音色を楽しみながら、ゆったり過ごしてほしいですね。楽しい思い出と一緒に、新しいウクレレ文化が受け継がれていくとしたら、そんなにすてきなことはありませんよ。
編集部:
では、最後に今後のウクレレ界について一言お願いします。
オオタサン:
いや、もうそれは我々が口出しすることじゃないでしょう。大丈夫、息子たちの世代がちゃんと引き継いでいってくれますよ。ウクレレの可能性は無限ですからね。そうそう、ハワイの公立小学校では、学校の授業でウクレレを学ぶんです。いいでしょう? こうしてウクレレの音色のすばらしさや楽しさを、次世代に伝え続けていってほしいですよね。
インタビューを終えて
とっても気さくにお話してくださった「神様」オオタサン。当日は非常にレアなマーティン製のウクレレを持参。大好きなおもちゃを触る子どものような笑顔で、何曲か演奏を聴かせてくださる大サービスも!ハワイの心地よい風の中、とても幸せな時間が流れていました。ウクレレ界のレジェンドとして、今後ますますのご活躍を期待しています
日本とハワイをウクレレの音色で結ぶ
会場は海を見下ろす小高い丘。日本とハワイのミュージシャンが集うイベントに今年もオオタサンが出演。
日時:2011年2月13日(日)
場所:カカアコ・ウォーターフロント・パーク
※入場無料
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