リー: |
当時は、まだハワイにはグラフィック・デザインという学科はなかったので、エール大学のコマーシャル・アート課に入りました。これが実は私の人生に最高の道を作ってくれたわけですが、卒業後数年間は東海岸に留まって仕事をしました。
1965年にホノルルに戻り、電話1台だけで仕事を始めましたが、この頃のハワイでは、東海岸でのトレーニングとキャリアがとても強みになりました。 最初の企業イメージのデザインの仕事はAmfac社で、数社とのプレゼンの結果、獲得したときはうれしかったですね。また、現在のホノルル・マガジンの前身である「パラダイス・パシフィック・マガジン」のデザインも手がけていましたが、これはほとんど修行みたいなギャラでやっていました(笑)。でも、本当にやり甲斐があったし、多くを学びました。今でも信じていることですが「お金の心配をするな。自分の信じることを心から楽しんでやっていれば、お金は必ずついてくる」ということも、このとき実体験したと思います。 |
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アロハ: |
何だか「絶対に信じたい」お言葉です(笑)。リーさんのデザインされたロゴを見ると、その企業の特徴やイメージが鮮やかに湧いてきますが、実際にデザインされるときは、どういうプロセスがあるのですか? |
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▲クラレンス・リー・デザインの若き担い手、クニ山本氏がデザインした、ウインキュービック/アロハストリートの新しいロゴ。Wが輪になり、手をつないでいるかのように見えるデザインは、柔らかなイメージだけでなく、絆の強さも表している。 |
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