「ナイノア・トンプソン」インタビュー

「ナイノア・トンプソン」インタビュー

公開日:2007.04.04

更新日:2017.06.25

ハワイ発プレミア情報誌アロハストリート

古代の英知とマナ(魂)の学びは途絶えることなく繰り返される
ナイノア・トンプソン -Nainoa Thompson- インタビュー
 遠い昔、まだ海図や計器も何もなかった頃、ポリネシアからハワイに移り住んだ先祖たちが、太陽、星、風、鳥の様子などから進路を定め、遠く離れた島へと旅したことを証明するために、当時と同じスタイルで建造された古代式カヌー「ホクレア号」。自然だけを頼りに航海を進めていくというこの「ホクレア号」が、2007年1月、ついに日本へと旅立ちました。もちろん今回の航海も、最新テクノロジーは一切使わず、ホクレア号の初航海時から参加したナイノア・トンプソン氏が受け継いだ、スター・ナビゲーションと呼ばれる高度な古代ポリネシアの伝統的な航海術だけを頼りに、旅を続けています。
 アロハストリートでは、航海出発直前のナイノア・トンプソン氏にインタビューを行い、この航海やホクレア号に対する特別な思いなどをお聞きしました。

ナイノア・トンプソン/Nainoa Thompson

1953年、オアフ島生まれ。ホクレア号プロジェクトには1974年の建造時から参加。初航海での古代航海術再現のためミクロネシアから招かれたマウ・ピアイルグ氏に師事。古代ポリネシアより伝わる航海術を引き継ぐ。ポリネシア航海協会会長、ビショップ財団理事を務める傍ら、カヌーやホクレア号を通じて、自然環境保護、文化継承など、幅広い活動を展開している。

感謝と伝承の輪を完成させる旅へ
ハワイ ハワイ
アロハスト リート(以下アロハ):
ホクレア号はすでに30年以上の航海の歴史を作ってきましたが、いよいよ次はミクロネシア、そして日本、という新しい航路に行かれるのですね。
ハワイ
ナイノア・ トンプソン(以下ナイノア):
この航海はとても大きな意味のあるもので、「ひとつのサークル(輪)」を完成させるという使命があるのです。そのサークルをご説明するにはまず、ホクレア号最初の航海を成功させた人物であり、ハワイの文化復興の大きな助けとなったマウ・ピアイルグ氏のお話から始めましょう。今回のミクロネシアへの航海は、マウへの感謝の旅であり、マウがハワイの伝統文化を救ってくれたように、今度は私たちがミクロネシアの伝統文化を守るために貢献させてもらうのです。ホクレア号が出来上がった当時、カヌーはできたのに、ハワイを含むポリネシア圏には古代航海術「スター・ナビゲーション」を継承している航海士がまったく残っていなかったのです。幸いミクロネシアに数人残っていたので助けを求め、協力してくれたのがマウでした。
ハワイ ハワイ
その航海術は、選ばれた人だけに口頭で継承されるハワイのフナ(秘術)のようなものだったにも関わらず、そのすべてを誠心誠意20年もの歳月をかけて伝授してくれました。彼の存在と協力がなかったら、ホクレア号が証明した古代ポリネシア人の移住の軌跡も、ハワイの文化復興もなかったでしょう。しかし、今度はそのミクロネシアで、マウの航海術や遠洋航海用カヌー建造の技術が継承の危機を迎えています。マウから学んだ航海術と、カヌー製造技術を再びミクロネシアに返す必要があるのです。マウは今年74歳になり、健康状態を考えても、今しかない、と感じているのです。
ハワイ
アロハ: ピアイルグ氏が教えてくれたものを再びミクロネシアに返すことで、サークルを完了させるのですね。
ハワイ
ナイノア: そうです。ハワイに伝承者がいなくなっていた文化を、ミクロネシアからマウがやってきて、惜しげもなくすべてを与えて復活させてくれました。そして、今度はマウに教えられたすべてを、私たちがミクロネシアに返す番なのです。今度の航海では、ホクレア号とともに、マウのために建造した「マイス」というカヌーが海を渡ります。その航海には、ミクロネシアの若者を参加させ、ナビゲーターとして育てます。これからはホクレアとマイスが、スター・ナビゲーションの学校となるのです。ハワイを助けたマウの島にお返しすることで、学びと感謝のサークル(輪)が完了するのです。これは私にとっても、ホクレア号から多くを学んだすべての人にとっても重要なことなのです。

日本文化という大きな影響
ハワイ
アロハ: ミクロネシアからは日本へ向かうそうですが、日本行きの意味を教えてください。
ハワイ
ナイノア: 日本とハワイが深い関わりを持っているのは、皆さんご存知だと思います。1881年にカラカウア王が日本を訪れ、そこから移民の歴史が始まりました。日系人や日本文化がハワイに与えた影響、貢献度は語り尽くせないほどです。そして私の個人的な考え方ですが、ハワイアンと日系人は、ともに苦しい時代を乗り越えてきた強さとやさしさで、共通点があると思うのです。
ハワイ
ハワイ ハワイ
これも個人的なことになってしまいますが、日本は私にとっても大切な場所なのです。私は今も住んでいるこの場所で生まれて育ちました。ここは私の祖父の時代にハワイ王朝から譲り受けた土地ですが、昔は酪農をやっていて、敷地内には家族の住居のほかに、日本人移民のヨシオ・カワノさんとミヨコさんの夫婦が住む家もありました。私たち兄弟姉妹は忙しい両親に代わってカワノ夫婦に育てられたと言ってもいいほどで、ヨシオの家にいくとそこにはまさに日本があったのです。また、海は私の人生そのものですが、ハワイの海のすべてを教えてくれたのはヨシオだったんです。夜通し働いて帰ってきてもヨシオは毎朝私を海に連れて行ってくれ、釣りをしながら、海を愛すること、そして「海を感じる」ということを教えてくれたのです。これはナビゲーターになったときに本当に役立ちました。「今、自分は海のどこにいて、海から何を感じるか」、これは子どもの頃にヨシオに教えられ、体で学んだことだったのです。
ハワイ ハワイ
アロハ: ヨシオさんの祖国への旅も、感謝を返すサークルの一部なのですね。
ハワイ
ナイノア: そう思います。ホクレア号で日本へ行く計画自体は十数年前から父のアイデアとしてあったのですが、ハワイの文化に大きな影響を与えた日本に、今度はハワイ文化の基礎である「アロハスピリット(友愛の精神)」を持って感謝を返したいと願っています。今、ハワイの日系人は、すでに5世の時代に入っていますが、日本の血を引くハワイの人の多くは「自分のルーツ」への深い想いと尊敬があります。その気持ちを代表して、日本から移民を乗せた船がハワイに向けて出港した港をたどっていこうと計画しています。

できれば、人生最初の師だったヨシオの故郷に行きたいのですが、残念ながら彼がどこから移民してきたのかの資料がありません。でも今回寄港する港のどこかから、ヨシオはハワイに向かったのでしょうね。沖縄はもちろん、福岡などハワイと姉妹都市や友好都市になっている場所もありますし、えひめ丸ゆかりの愛媛にもうかがうつもりです。えひめ丸事故の後、事故現場に遺族をお連れしたのもホクレア号だったのです。

ハワイ
アロハ: ホクレア号の日本到着に向けてメッセージをいただけますか?
ハワイ
ナイノア: ホクレア号は今、平和と希望を象徴するシンボルとして地球を旅しています。暴力に溢れたニュースの中で暮らす現代の若者たちに、宇宙と魂に導かれて進むホクレア号に出逢って欲しいと願います。穏やかに黙々と大海を進んでいくホクレア号の姿の中に、純粋な希望、夢、愛を感じとってください。日本でお会いできるのを心から楽しみにしています。

ホクレア号公式日本語ブログはこちら

※アロハストリート2006年冬号に掲載した記事です。 定期購読のご案内

公開日
: 2007年 4月 4日
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