古代の英知とマナ(魂)の学びは途絶えることなく繰り返される ナイノア・トンプソン -Nainoa Thompson- インタビュー |
遠い昔、まだ海図や計器も何もなかった頃、ポリネシアからハワイに移り住んだ先祖たちが、太陽、星、風、鳥の様子などから進路を定め、遠く離れた島へと旅したことを証明するために、当時と同じスタイルで建造された古代式カヌー「ホクレア号」。自然だけを頼りに航海を進めていくというこの「ホクレア号」が、2007年1月、ついに日本へと旅立ちました。もちろん今回の航海も、最新テクノロジーは一切使わず、ホクレア号の初航海時から参加したナイノア・トンプソン氏が受け継いだ、スター・ナビゲーションと呼ばれる高度な古代ポリネシアの伝統的な航海術だけを頼りに、旅を続けています。 アロハストリートでは、航海出発直前のナイノア・トンプソン氏にインタビューを行い、この航海やホクレア号に対する特別な思いなどをお聞きしました。 |
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感謝と伝承の輪を完成させる旅へ |
アロハスト | リート(以下アロハ): ホクレア号はすでに30年以上の航海の歴史を作ってきましたが、いよいよ次はミクロネシア、そして日本、という新しい航路に行かれるのですね。 |
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その航海術は、選ばれた人だけに口頭で継承されるハワイのフナ(秘術)のようなものだったにも関わらず、そのすべてを誠心誠意20年もの歳月をかけて伝授してくれました。彼の存在と協力がなかったら、ホクレア号が証明した古代ポリネシア人の移住の軌跡も、ハワイの文化復興もなかったでしょう。しかし、今度はそのミクロネシアで、マウの航海術や遠洋航海用カヌー建造の技術が継承の危機を迎えています。マウから学んだ航海術と、カヌー製造技術を再びミクロネシアに返す必要があるのです。マウは今年74歳になり、健康状態を考えても、今しかない、と感じているのです。 | |
アロハ: | ピアイルグ氏が教えてくれたものを再びミクロネシアに返すことで、サークルを完了させるのですね。 |
ナイノア: | そうです。ハワイに伝承者がいなくなっていた文化を、ミクロネシアからマウがやってきて、惜しげもなくすべてを与えて復活させてくれました。そして、今度はマウに教えられたすべてを、私たちがミクロネシアに返す番なのです。今度の航海では、ホクレア号とともに、マウのために建造した「マイス」というカヌーが海を渡ります。その航海には、ミクロネシアの若者を参加させ、ナビゲーターとして育てます。これからはホクレアとマイスが、スター・ナビゲーションの学校となるのです。ハワイを助けたマウの島にお返しすることで、学びと感謝のサークル(輪)が完了するのです。これは私にとっても、ホクレア号から多くを学んだすべての人にとっても重要なことなのです。 |
日本文化という大きな影響 |
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これも個人的なことになってしまいますが、日本は私にとっても大切な場所なのです。私は今も住んでいるこの場所で生まれて育ちました。ここは私の祖父の時代にハワイ王朝から譲り受けた土地ですが、昔は酪農をやっていて、敷地内には家族の住居のほかに、日本人移民のヨシオ・カワノさんとミヨコさんの夫婦が住む家もありました。私たち兄弟姉妹は忙しい両親に代わってカワノ夫婦に育てられたと言ってもいいほどで、ヨシオの家にいくとそこにはまさに日本があったのです。また、海は私の人生そのものですが、ハワイの海のすべてを教えてくれたのはヨシオだったんです。夜通し働いて帰ってきてもヨシオは毎朝私を海に連れて行ってくれ、釣りをしながら、海を愛すること、そして「海を感じる」ということを教えてくれたのです。これはナビゲーターになったときに本当に役立ちました。「今、自分は海のどこにいて、海から何を感じるか」、これは子どもの頃にヨシオに教えられ、体で学んだことだったのです。 |
アロハ: | ヨシオさんの祖国への旅も、感謝を返すサークルの一部なのですね。 |
ナイノア: | そう思います。ホクレア号で日本へ行く計画自体は十数年前から父のアイデアとしてあったのですが、ハワイの文化に大きな影響を与えた日本に、今度はハワイ文化の基礎である「アロハスピリット(友愛の精神)」を持って感謝を返したいと願っています。今、ハワイの日系人は、すでに5世の時代に入っていますが、日本の血を引くハワイの人の多くは「自分のルーツ」への深い想いと尊敬があります。その気持ちを代表して、日本から移民を乗せた船がハワイに向けて出港した港をたどっていこうと計画しています。
できれば、人生最初の師だったヨシオの故郷に行きたいのですが、残念ながら彼がどこから移民してきたのかの資料がありません。でも今回寄港する港のどこかから、ヨシオはハワイに向かったのでしょうね。沖縄はもちろん、福岡などハワイと姉妹都市や友好都市になっている場所もありますし、えひめ丸ゆかりの愛媛にもうかがうつもりです。えひめ丸事故の後、事故現場に遺族をお連れしたのもホクレア号だったのです。 |
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※アロハストリート2006年冬号に掲載した記事です。 |
公開日 : 2007年 4月 4日 |
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