ホクレアは5カ月にも及んだミクロネシア・日本航海の全航程を踏破し、横浜港のぷかり桟橋に接岸しました。しかし、この最後の航程も決して順調なものではありませんでした。ホクレアは全長20メートルにも満たない小さな帆走カヌーですから、何千トン、何万トンもある現代の船とは違って少しの天候の悪化にも影響を受けてしまうのです。
直前の寄港地である宇和島では、低気圧によって2日間の出航延期を余儀なくされ、さらに宇和島を出航した直後には、伴走船カマ・ヘレのスクリュー・シャフト軸受けがこれまでの酷使によって油漏れを起こすなど、ホクレアの横浜到着は遅れるのではないかという雰囲気が漂い始めていました。
実際、船団がカマ・ヘレの修理の為に室戸岬港に緊急寄港した直後には、9日正午入港は難しそうですという連絡が横浜市港湾局に届いたほどです。ですが、懸念されたカマ・ヘレの故障は、当初考えられたよりも軽いもので、船団は寄港から24時間を経ずして室戸岬港を出港することが出来ました。
そして、圧巻だったのはここからでした。ポリネシアの航海文化の象徴ともいえるホクレアのクラブクロウ・セイルは、追い風を受けてカヌーをぐんぐんと加速させていきます。船団は翌日の午後3時には伊豆半島先端の石廊崎を交わして相模湾に入り、午後10時には三浦半島先端の三崎港に到着したのです。もう横浜は目と鼻の先です。船団はここで時間調整の為の待機に入りました。