ホクレア号、感動の横浜港到着をレポート

ホクレア号、感動の横浜港到着をレポート

公開日:2007.06.20

更新日:2017.06.25

特別企画&レポート


ホクレア号が全航程を踏破!
感動の横浜港到着をレポート
 2007年1月にハワイを出航したホクレア号が、ついに最終目的地である神奈川県横浜港に到着しました。アロハストリートでは、この航海の公式日本語ブログをお届けし、このプロジェクトの中心的人物であるナイノア・トンプソンさんへのインタビューを掲載するなど、応援を続けてきました。横浜港に到着した当日は、関係者をはじめ大勢の支援者が集まり、感動のフィナーレで幕を閉じました。その模様をお届けします。

⇒ ホクレア号公式日本語ブログはこちら

レポーター 加藤晃生氏
ウィル・クセルク著作「星の航海術をもとめて:ホクレア号の33日」の翻訳者。アロハストリートがお手伝いさせいただいた「ホクレア号航海ブログ」の公式日本語ブログを、豊富な知識でサポート。ほかにもプラネタリウムの番組の中で、ホクレア号のスターナビゲーションについて分かりやすく監修するなど活躍中。

加藤氏のブログはこちら ⇒ blogs.yahoo.co.jp/hokulea2006
星の航海術をもとめて:ホクレア号の33日

困難を乗り越え、
横浜港へ奇跡のラストスパート
 ホクレアは5カ月にも及んだミクロネシア・日本航海の全航程を踏破し、横浜港のぷかり桟橋に接岸しました。しかし、この最後の航程も決して順調なものではありませんでした。ホクレアは全長20メートルにも満たない小さな帆走カヌーですから、何千トン、何万トンもある現代の船とは違って少しの天候の悪化にも影響を受けてしまうのです。

 直前の寄港地である宇和島では、低気圧によって2日間の出航延期を余儀なくされ、さらに宇和島を出航した直後には、伴走船カマ・ヘレのスクリュー・シャフト軸受けがこれまでの酷使によって油漏れを起こすなど、ホクレアの横浜到着は遅れるのではないかという雰囲気が漂い始めていました。

 実際、船団がカマ・ヘレの修理の為に室戸岬港に緊急寄港した直後には、9日正午入港は難しそうですという連絡が横浜市港湾局に届いたほどです。ですが、懸念されたカマ・ヘレの故障は、当初考えられたよりも軽いもので、船団は寄港から24時間を経ずして室戸岬港を出港することが出来ました。

 そして、圧巻だったのはここからでした。ポリネシアの航海文化の象徴ともいえるホクレアのクラブクロウ・セイルは、追い風を受けてカヌーをぐんぐんと加速させていきます。船団は翌日の午後3時には伊豆半島先端の石廊崎を交わして相模湾に入り、午後10時には三浦半島先端の三崎港に到着したのです。もう横浜は目と鼻の先です。船団はここで時間調整の為の待機に入りました。

6月9日、遂にホクレアが横浜港に
 6月9日午前10時21分。ベイブリッジの下に奇妙な船影が現れました。海面を這うような低い舷縁を持つ双胴の船体、そして2本のマスト。ホクレアです。ついにホクレアは最終目的地までたどり着いたのです。曳航しているのは、もちろん専属伴走船カマ・ヘレ。ホクレアを守る為だけに設計され建造された屈強の従卒です。桟橋の前でカマ・ヘレはホクレアを曳航していたロープを解き放ちました。ホクレアのクラブクロウ・セイルがゆっくりと開いていきます。何とホクレアは最後の最後をポリネシアの誇り、クラブクロウ・セイルによる帆走で入稿するつもりなのです。まず桟橋に接近して来たのはカマ・ヘレでした。船上には日本航海の水先案内役を務めた西村一広氏の姿があります。桟橋の状況の最終確認をしているようで、カマ・ヘレは接岸することなくホクレアの傍に戻って行きました。

 
そして10時55分。付近に停泊している船が一斉に汽笛を鳴らす中、ホクレアはゆっくりと桟橋に向かって動き始めました。舳先には正装した王立カメハメハ騎士団の姿も見えます。ハワイからここまで全航程に搭乗したアトウッド・マカナニ氏のホラ貝が響き渡ります。今や桟橋は詰めかけた大群衆であふれんばかり。最後の航程で船長を務めたブルース・ブランケンフェルド氏の熟練の操船のもと、ホクレアはあくまでも優美に桟橋に接岸しました。すぐさま荒木汰久治氏とナイノア・トンプソン氏が舫綱を結び、船医でもあるシェリー・シェハタ氏がロープを引いてクラブクロウ・セイルをたたんでいます。クルーの動きには一部の隙もありません。

伝統儀式を済ませ、感動の上陸
 桟橋ではカメハメハ騎士団による祝福のチャントが始まりました。続いて元クルーであり、ホクレアの日本航海を熱望しながら2年前に早世した故タイガー・エスペリ氏の弟子たちによる「カマ・ク・ラ・ハカ」の言上。これを受けてホクレアの船上では「ホクレア・アイハア」が披露されます。ポリネシアの航海カヌーは本来、このようにしてハカを交換しなければ目的地に着いたことになりません。つまりこのハカは、ホクレアのミクロネシア・日本航海全体を締めくくるものだったのです。ハカを終え、クルーはすべてをやり遂げたという表情で抱き合いました。荒木氏とともに日本航海の全航程に搭乗した内野加奈子氏の姿も見えます。やがてクルーは船上で手をつなぎ、ひとつの輪を作りました。航海の成功に感謝の祈りを捧げるのです。カニエラ・アカカ師の言葉が静かに船上に流れます。

「航海はこれからも続きます。航海を続けなければ、私たちは私たちではなくなってしまうのです。」

 そして、いよいよクルーの上陸です。カラカウア王が横浜に上陸した時にも演奏されたというハワイ州歌「ハワイ・ポノイ」の歌声の中、クルーは次々に桟橋へと降り立ちました。9年間、この航海の為に全てを捧げてきたという荒木氏の目には光るものがありました。見上げると、ホクレアのマストには周防大島の木工職人が作ったペペピアオという部品が取り付けられていました。ホクレアの旅はこれからも続きます。日本からのささやかな贈り物とともに。

⇒ ホクレア号公式日本語ブログはこちら


▲ベイブリッジを背に、帆を細かく操作しながら桟橋に近づいて来るホクレア。

▲5カ月に及ぶ大航海を終えて妻と再会した、カマ・ヘレのマイク・テイラー船長。

▲桟橋でホクレアを迎えた王立カメハメハ1世騎士団。ホラ貝が吹き鳴らされる。

▲全航程の掉尾を飾る「ホクレア・アイハア」。中央に見えるのは荒木汰久治氏。

▲全ての航海を無事に終えて抱き合うクルーたち。内野加奈子氏の笑顔も見える。

▲船上で輪になって手を繋ぎ、航海の成功に感謝の祈りを捧げるクルーたち。

▲上陸した荒木氏。涙を堪えられない様子でした。お疲れ様でした!

▲中央に見える耳のような部材が周防大島で製作されたペペピアオ。航海は続いて行きます。

公開日
: 2007年 6月 20日
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