Howard Dicus / ハワード・ダイカス
ワシントンDCでジャーナリストのキャリアをスタート。30年以上活躍した後、2001年にハワイへ移住。地元のビジネス新聞パシフィック・ビジネス・ニュース社に入社後、ラジオでニュースのコメントを担当する傍ら、テレビ局KHONの朝の番組でハワイの最新ビジネス・ニュースの解説を担当し、一躍人気者となる。今秋に、テレビ局KGMBの朝のニュース番組に活躍の場を移したばかり。
ビジネスをエンターテインメントにするジャーナリスト
アロハストリート(以下アロハ):
ビジネス・ニュースという決して万人向きでない分野ながら、ダイカスさんは子どもから大人まで性別を問わず幅広いファンをお持ちですよね。
ダイカス:
「ビジネス・ニュースにファン」というのも妙ですが、おかげさまでいろいろなところで声をかけてもらうようになりました。ニュースの内容より、手書
きのグラフや、「そんな格好でテレビに出るの?」と言われるほどの「洗練されていなさ」について言われることの方が多いですけど(笑)。でも、自分に関係のない世界だから…、と関心の薄かった人が、ビジネスの分野に興味を持っていただけるのはうれしいですね。堅いイメージを持たずにニュースを見てもらえれば何よりです。
アロハ:
確かに、ビジネス経済ニュースと聞くと、「難しそう、つまらなさそう」という先入観が働いてしまいがちですよね。
ダイカス:
私にとっても、すべてのニュースが面白いというわけじゃないんですよ(笑)。ビジネスの分野は多岐に渡るものですから、専門的な知識がないとニュースを理解できないことが多いのも事実。専門家が使う用語は、その分野に明るくない人には外国語と同じですから。専門家がじっくり説明してくれたのに、「で? 結局はどういうことなんですか?」という…(笑)。ジャーナリストの私がそうなのですから、専門家の言葉をそのままメモした記事が、読者にどれだけ理解されるか…。私は「説明のプロ」を自称しているので、訳のわからないビジネス・ワールドをいかに簡単に説明するかを日々実践しているわけです。
アロハ:
ダイカスさんといえば、テレビのニュースでノートに手描きしたグラフや図を使うのがトレードマークですよね。そのノートが、近所のスーパーで売っているお手ごろ価格の黄色いやつ、というのも更に親近感を覚えます(笑)。
ダイカス:
いまどきのテレビニュースにはありえない手法ですよね(笑)。あるとき、ハワイの健康保険会社の利益率についての記事が地元新聞に載ったのですが、非常にわかりにくい内容だったので、朝のニュースで解説するために、私なりにわかりやすく図に描いて、そのままノートをテレビカメラに向けてしまったのが始まりです。あとでプロデューサーに怒られるかと思ったのですが、逆にそのアナログ度が大受けしてしまったというわけで…。どうも今ではそれを楽しみにしている人が多いみたいですね。
アロハ:
今やハワイのビジネス界、報道メディア界のセレブ的存在になっていらっしゃいますが、もともとはワシントンDCでキャリアを積まれていたダイカスさんにとって、ハワイ移住にはどんな意味があったのですか?
ダイカス:
私の亡き妻がハワイ出身だったので、ワシントンDCに住んでいるときからバカンスで何度か遊びに来ていました。ハワイ移住は妻の望みでもあったので、「いつかは」と思っていたのです。ワシントンDCでは地元の3つのラジオ局でパーソナリティをしていて、ラジオでの仕事歴は37年にもなりますが、テレビの世界に進出したのはハワイに来てからです。私自身、自分はテレビ向きのルックスでもタイプでもないと思っていましたから(笑)、人生はわからないものですよね。ハワイでの仕事はまさにゼロからのスタートでしたが、パシフィック・ビジネス・ニュース社に入社し、ラジオのコメントを頼まれるようになって、あっという間に、今のように仕事の領域が広がっていきました。
アロハ:
ハワイに移住したのは亡くなった奥様のご希望だったでのすね。
ダイカス:
最初にハワイに来たのは1978年で、妻と一緒にバカンスを楽しみましたが、最初からハワイのライフスタイルに惚れ込みました。とくに人のやさしさと穏やかさに驚きました。2001年に移住したのですが、その後に妻が癌に冒されていたことがわかったのです。結局彼女は最後の約3年間をハワイで過ごすことができて、本当に幸せだったと思います。彼女が長年帰りたいと言っていた場所に戻ってこられたこと、その場所で一緒に暮せたこと、そして何よりも彼女がハワイで幸せな生涯を閉じられたことに感謝しています。私も彼女のお陰で今、このすばらしい場所で生活を続けていられるのです。
アロハ:
ハワイでの生活にはすぐになじめましたか?
ダイカス:
ええ、かなりスムーズに順応できましたね。まずは、ハワイ伝統のオハナ(ハワイ語で家族という意味)の精神が今もそのままに生きていることを実感しました。旅行者時代には触れることのなかったハワイの伝統や生活習慣も多かったのですが、知らないことは知らないと正直に言えば、誰もが親切に教えてくれるのがハワイのすばらしいところです。これはジャーナリズムにも通じるところがあります。知りたいと思っている人に理解できるレベルで説明してあげることで、人間は知識の世界も生活空間も広がっていくのです。
アロハ:
2007年の秋からはKGMBの朝のテレビニュース・チームの一員として、活躍の場を変えられたそうですが、これまでの過密スケジュールはそのまま続きそうですね。趣味やハワイを楽しむ時間はあるのでしょうか?
ダイカス:
今までは平日は朝3時に仕事が始まり、新聞記事を書き、ラジオのニュース、テレビのニュースを発信。午後は昼寝をして、その後は自分のための時間にあてていました。ジャズやクラシック音楽が好きなので、ホノルルで開催される音楽イベントは楽しみにしています。ジャズ・フェスティバルやホノルル・シンフォニーのコンサートにも行きます。もともとじっとしているのが苦手なので、アラワイ運河沿いを散歩するだけでも満足できるんですよ。さっきまで仕事をしていた場所のすぐ隣りに自然もある、リゾートもある、そして温かな人たちもそこにいる。それがハワイのすばらしさでしょうね。
インタビューを終えて
テレビで観るちょっとシニカルなイメージとは全く違う、ソフトな面を見せてくれた素顔のハワード・ダイカスさん。ビジネス経済の話とは離れたプライベートな質問にも快く答えてくださいました。亡くなった奥様との思い出を大切に話される態度に、好感度はますますアップ。新聞社を辞め、テレビ・ニュース・チームの一員となったダイカスさんこれからの活躍が楽しみです。
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