KONISHIKI コニシキ
オアフ島ナナクリ出身。45 歳。1982 年高校卒業と同時にスカウトされ高砂部屋に入門。87年に大関昇進。97 年11 月場所で引退。その後はタレントやミュージシャンとして芸能活動を続ける。現在は音楽プロデューサーとしてH-POPの普及に努めるほか、KONISHIKIキッズ(※1)基金を通じて、故郷ハワイの子どもたちへの教育をサポートしている。
(右写真:KONISHIKIがプロデュースするH-POPシリーズ)
編集長:どんどん健康的な印象になっていきますね。
KONISHIKI:ありがとう。最近は顔の感じとかも変わったってよく言われる。本当に今は体調が良くなって毎日が楽しいよ。どこでも身軽に飛んでいけるから仕事もバリバリできる。お医者さんもビックリするくらいに、どこも悪いところがないんだよね。
編集長:昨年夏まで約2年間ハワイで長期療養されたわけですが、いかがでしたか?
KONISHIKI:相撲のために日本に行ってからというもの、僕は一度も休んだことがなくて、ずっと走り続けてきたんだ。休むということに慣れていなくて、たいへんだったね。相撲はひとりでやることだけど、今は僕には会社がある。皆のために責任があるから、気持ちは休まらない。早く復帰したかったよ。
編集長:長い帰省で、あらためてハワイの今の状況も分かったのではないですか。
KONISHIKI:そうですね。やはりインフラが遅れているのは日本から来るとすごく感じる。ハワイに戻った時、インターネットを設置してもらうのにも実はすごく時間がかかってね。ハワイも早くインフラのスタンダードを上げていかないといけないと思う。僕も日本に行ってから25 年、感覚はすっかり日本人かもしれない。
編集長:2007年10月の大地震の時はハワイにいらしたんですよね。
KONISHIKI:あんな風に州全体が停電になってパニックしそうなときにも、ハワイの人は皆、笑っているんだよね。発電機を使って庭でバーベキューしたりしてね。そういうのって、本当にハワイだけじゃないかな。のんびりというかリラックスというか(笑)。やっぱりハワイはハワイ。心がゆっくりして癒される場所なんだなあ。
編集長:今号から、アロハストリートでKONISHIKIさんのナビゲートで、ウエブサイト連動の音楽ページがスタートします。
KONISHIKI:ハワイというと、皆、古典的なフラ用のハワイアン・ミュージックを想像すると思いますが、今、ハワイのラジオから毎日流れているのは、地元アーティストが演奏するポップスやレゲエ、ヒップホップなど、ものすごく現代的で多様化した音楽なんだ。ほかのどこにも見られない独特のセンスと才能で、ハワイのアーティストは世界のいろんな音楽を自分のものに変えてしまうんだね。ほんとにカッコイイよ。
編集長:ジャマイカのレゲエとハワイアンをかけて、ジャワイアンとも呼ばれていますが。
KONISHIKI:そう、でもレゲエだけじゃないから、僕はハワイのポップミュージックという意味でH-Pop(エイチポップ)という言い方をしているよ。何と言ってもハワイのアーティストの歌のうまさは天下一品! ボーカルの強さが際だってる。ハワイの伝統かもしれないけれど、ほかのどこの人たちにも負けないスゴサがあるんだ。
編集長:レーベルの名前はLost Coast( ロストコースト)というんですね。
KONISHIKI:アメリカにはイーストコースト・サウンド、ウエストコースト・サウンドというのがあるけれど、ハワイのサウンドはどちらにも似ていない独自のもの。皆が気づかずにいるミュージック・アイランドがここにあるんだよ、というメッセージを込めてつけた名前なんだ。
編集長:ハワイはもともと世界中の文化が融合して独自の文化を創り出しているところですよね。
KONISHIKI:音楽もそうなんだ。何にも偏見やこだわりなく、良いものをすぐに取り入れて、自分たちなりの文化とミックスしてオリジナルにしてしまう。だから新しいし、今のジェネレーションに抜群に受けているんだと思う。伝統的なハワイアン・ミュージックはもちろん大切にしていかなければならないけれど、時代を象徴するハッピーな新しい音楽が僕らには必要なんだ。
編集長:1月にハワイで行われた「Throw Da Shaka」(※2)は、KONISHIKI さんのプロデュースで大成功でした。
KONISHIKI:ワイキキシェルという野外コンサート会場を埋め尽くすスゴイ観衆で、僕も興奮したよ。若い子たちが多くて、最後には総立ちでハッピーなエネルギーでいっぱいだったね。ハワイでは本当にスゴイ盛り上がりなんだ。これを日本の皆にも伝えたい。来年は日本で野外コンサートをするつもりだよ。
編集長:KONISHIKI さんは、以前からコニシキキッズというチャリティ活動をしていますが。
KONISHIKI:僕の育ったナナクリという地域は、決して裕福な場所ではなくて、希望あふれる豊かな人生を夢見ることさえ叶わない子どもたちがたくさんいます。それは親の世代から代々受け継がれてしまったもの。幸い僕は若い頃から日本に行って、ハングリーな気持ちで一生懸命頑張ったことで、ハワイにいたら決して手に入れられなかった夢を実現することができたと思ってる。だから故郷の子どもたちにも、夢を見ること、そしてそれを信じて努力することのすばらしさを教えてあげたいんだ。
編集長:基金を学校教育に役立てたり、子どもたちを日本に連れて行ってあげるのは、そのためなんですね。
KONISHIKI:故郷の街とは違う広い世界を見せて、彼らの視野を広げる手助けをしてあげたい。夢を見ることを教えてあげることで、彼らが自分を信じ、成長するきっかけ作りになることが一番うれしいな。世界にはたくさんの可能性があふれていることを肌で感じてほしいんだ。
編集長:ますます元気で、ますます活動的になっているのを感じますよ。
KONISHIKI:健康的な身体になって、あらためてまだまだやりたいことがいっぱいあるのが分かった。僕は思いついたアイディアは、何でもすぐに実行したくなってしまうんだ。これからも日本とハワイの架け橋になるためにがんばります。ハワイファンの皆さん、ぜひ応援してくださいね!
(右写真:2 月には、サザンの関口さんと一緒にハワイでイベント「ウクレレピクニック」(※3)を開催。たくさんのウクレレファン、豪華アーティストを集めて大いに盛り上がった。)
※1 「KONISHIKIキッズ」の関連記事
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※3 「ウクレレピクニック」の関連記事
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- 編集長のひとりごと 「ウクピク」
インタビューを終えて
ハワイに来る前に日本からH-POP の企画をダイレクトにアプローチしてくれたKONISHIKI さん。次ページで、彼が強力にプッシュするハワイの新しい世代の音楽を紹介するウエブ連動の連載がスタート。ぜひハッピーで旬なウエイブを感じてください。
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※アロハストリート2009春号に掲載した記事です。
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