ハワイ屈指のエンターテイナー!
類まれな歌唱力とフラの実力を持つ、トニー・コンジュゲイションさんにインタビュー!
公開日:2010.10.25
更新日:2017.06.14
幼い頃から一流のエンターテイナーとして舞台で活躍しているトニーCこと、トニー・コンジュゲイションさん。フラもさることながら、ミュージシャンとしての評価も高く、昨年のナ・ホク・ハノハノ賞のステージでもすばらしいパフォーマンスを披露。そんな彼に、クムフラとしての生活ぶりや、将来の夢などについてお話を聞いた。
Tony Conjugacion 音楽一家に生まれ、8歳の時よりプロのシンガーとして活躍。その後チャントのすばらしさが認められ、フラの修行も始める。クムフラ、ダリル・ルペヌイの元でフラを学びながらも、20代後半でNYへ渡り、大ヒットブロードウェイ・ミュージカル「ミス・サイゴン」のオーディションに合格してステージに立つ。5年後にハワイに戻った後は、ハーラウ・ナー・ワイノヒアのクムフラ、ミュージシャンとして次世代を指導。兄はミュージシャンのブラザー・ノーランド。 |
編集長:
トニーさんとはご縁があって、ご協力を頂いていますが、今日はハワイの伝統を継承するクムフラとして、また実力派ファルセット・シンガーとして、ハワイアン・カルチャーを担う立場から、いろいろとお話を聞かせてください。
トニー:
音楽やフラとの出会いは、まだほんの子どもの時でした。音楽一家に生まれ育ったので、環境的にも音楽をやることが自然でしたね。とにかく親戚の多い大家族なので、一族の中にはミュージシャンやダンサーがいっぱい。なんとラウハラ編みの名手で、ホクレアと並ぶ船の帆を編んだ人間国宝級のアンティもいるんですよ。
編集長:
それはすばらしい! ご家族からいい影響をたくさん受けたのでしょうね。トニーさんは、クムフラの前はエンターテイナーとして活躍していらっしゃいましたが、プロとしてのデビューは8歳?
トニー:
歌とフラはほぼ同時に始めたので、自分の中ではシンクロしているのですが、7〜8歳で当時の人気シンガーだったメルヴィン・リードと一緒にステージに立っていました。
編集長:
8歳といえば、まだ小学生ですよね。
トニー:
ええ。そのすぐ後にフラも習い始めたので、とても忙しくなり、間違った方向に進むことなく(笑)成長しました。他のことに目を向けるヒマなんてなかったですから。今考えると、それが母の狙いだったのかも知れないけどね(笑)。
編集長:
当時はどんな場所で歌っていたんですか?
トニー:
最初は、毎週日曜日に若いシンガーをフィーチャーしたラジオ番組に出演していて、その後、メルヴィン・リードとクイーン・カピオラニホテルやイリカイ、シェラトンなどに出ていました。
編集長:
すごい! それにちゃんと学校で勉強もしていたんでしょう?
トニー:
カメハメハ・スクールに通っていましたが、仕事は週末に限っていたし、そんなに大変ではなかったけれど、学校では仕事をしていることを特別に思われたくなくて、なるべくみんなと同じでいようとしていましたね。
編集長:
なんか、わかる気がします。きっと同級生は自分たちより大人に感じたでしょうね。
トニー:
きっとね。高校を卒業し、しばらくしてフラに真剣に取り組むようになり、音楽とフラは深くつながっているけれど、違う次元のものだということを理解してからは、踊りに没頭しました。自分は歌えるけれど、フラはまた別のチャレンジでした。
編集長:
なるほど。そしてそこからクムフラへの厳しい修行が始まったのですね?
トニー:
でも、その道を進むにつれ、コンペに出て勝つことが大事になってくると、それがだんだんストレスになって来て…。90年代後半に、次々と尊敬するクムフラが亡くなり、僕はフラ・シスターのレイモミ・ホーをサポートすることに徹していましたが、彼女がメリー・モナークで優勝したあと、少しフラの世界から離れてみることにしたんです。
編集長:
そのとき何歳だったんですか?
トニー:
確か27歳だったかな…。
編集長:
それでオーディションを受けて、ブロードウェイへ?
トニー:
まずはハワイで「Dream Girls」のオーディションがあり、初めてミュージカルの世界を目のあたりにしたんです。それまで劇場の舞台で演技をするという経験がまるでなかったので、自分がそんなことができるとはまったく思わなかったし、たくさんの人に交ざってオーディションを受けるなんて、どうしても想像できなくて…。
編集長:
シンガーとしての経験が十分にあっても?
トニー:
全然! でもそれからいろいろな人と出会い、有名なプロデューサーに認められ、新しいミュージカルのオーディションを受けることになり、気が付いたらニューヨークに行って、ブロードウェイの「ミス・サイゴン」のオリジナル・キャストの一員として舞台に立つ幸運に恵まれたのです。
編集長:
快挙ですね〜。
トニー:
アジア人は僕だけでしたからね。でも、そこに行き着くまではいろいろあったけど(笑)、本当にいい経験でしたよ。
編集長:
トニーさんは、ハワイで数少ない、本場で磨かれたエンターテイナーという感じがします。さすがですね。
トニー:
ロコボーイはずっと島にいたがるけれど(笑)、僕はチャレンジを探していたんですね。でも5年たってハワイに戻ってきた時は、正直ほっとしました。NY生活はエキサイティングだったけれど、フラやハワイのことは忘れたことはありませんでした。
編集長:
そしてご自分のハラウを持ち、日本でもワークショップを行ったり、今はフラがメインの生活になっているんですよね。
トニー:
日本でフラが人気になってうれしいけれど、ハワイでは伝統の一部として継承されているものだから、僕はフラは今でも特殊なもので、決してポピュラーとは言えないと思っているんですよ。
編集長:
あ、そういう見方もあるんですね…。
トニー:
日本で会ったフラを学ぶ人は、みんなフラを心から愛して、フラ・コミュニティはどんどん広がっている。これは喜ばしいこと。でも一方ではお金が絡んだり、フラがあるべき姿とは違う方向へ進もうとしているという話を聞くこともあり、少し残念です。もし真剣にフラを学ぼうとしたら、ワークショップに数回参加しただけでは何もならない。まずはハワイに来て、ハワイをもっと知ること。それからでないと、形は学べても、フラの心は習得できないはずですから。
編集長:
なるほど…。その通りですね。アーティストとして成功を収めているトニーさんは、これからフラを通してどんなことをやりたいのでしょう?
トニー:
将来は子どもたちの指導にあたりたいですね。ハワイにはすばらしいスポーツ・プログラムはたくさんあるけれど、演技などの分野では、まだまだ。次世代を担う子どもたちのために、フラや歌を通して自分ができることをしてあげたい。それが先人たちへの恩返しでもあるから。
編集長:
ハワイからも、どんどん世界に通用するスターが育つといいですね。
トニー:
子どもたちの育成のためには、まずは小さなことから始めて、それをだんだんと大きくしていくのが目標。フラに限らず、自分が自分であることを認め、そこから心と体を鍛えて、才能を伸ばしていく手助けができるようになればいいと考えています。
編集長:
ぜひがんばってください。今日はありがとうございました。
インタビューを終えて |
ナ・ホク・ハノハノ賞にもノミネート!
「Ike O Na Kumu Hula」
2009年に発売されたCD「Ike O Na Kumu Hula」は、トニー・コンジュゲイションを含む12人の現役クムフラのチャントと歌を1曲づつ収めたコンピレーション・アルバム。今年のナ・ホク・ハノハノ賞コンピレーション・アルバム部門にノミネートされた。
発売元:Lamaku Society |
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