歌声が心に染みる「この歌が生まれた時に」【Masahiko Matsuo】

歌声が心に染みる「この歌が生まれた時に」【Masahiko Matsuo】

新アルバム「この歌が生まれた時に」をリリースしたマサヒコ・マツオさんにインタビュー。心に響く美しい歌声と歌詞の秘密に迫る!

公開日:2015.12.29

更新日:2017.06.15

アロハストリート・インタビュー

 2015年11月、新アルバム「この歌が生まれた時に」をリリースされたマサヒコ・マツオさん。レコーディングが行われたマノアの山奥にある伝説的なスタジオ「ランデブー・レコーディング」にてお話をお伺いしました。

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●マサヒコ・マツオ/ Masahiko Matsuo
アルバム「この歌が生まれた時に」
13曲入り 1,500円 iTune Storeにて配信中
(iTune Storeにて「Masahiko Matsuo」で検索!)

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編集部:マツオさん、アロハ! アルバムリリースおめでとうございます。私も聴かせていただきましたが、声がとっても素敵ですよね。シンプルで深い歌詞のひとつひとつの言葉が、美しい声でスッと心に入ってきます。

マツオ:ありがとうございます。私の音楽は「聴く人が主役」。あれこれ個性やメッセージを押し付けるのではなく、聴く人が自由に解釈して楽しんでいただけるよう、あえて個性やクセをそぎ落とし、まっすぐ歌うことを心がけています。

編集部:じつは私、今回のアルバムがリリースされるまで、マツオさんのことを知りませんでした。まず「あなたは誰?」というところからお聞きしたいのですが、お生まれはアメリカなんですって?

マツオ:そうです。父が日系アメリカ人でハワイのロコなんですね。子どもの頃、ベトナム戦争があり、父が徴兵されて家族みんなでグアムに移り住みました。その後、私が高校生の時に、沖縄の嘉手納基地に移ったんです。当時の沖縄は、USコントロールと言われる時代で、車も左ハンドルだし交通も日本と逆の右側通行。ここはアメリカだという感じでしたね。

編集部:日本から沖縄に行くのにパスポートが必要だった時代ですね。

マツオ:はい。あの当時、米軍基地には音楽があふれていたんです。ロック、ジャズ、R&B...とにかく本物の音楽が身近にあったのが、米軍基地でした。私は基地っ子だったので、ずっと音楽に触れ、自然と自分も音楽をやるようになったんです。高校生の頃に嘉手納基地の中でステージに立ち、バンドで歌っていました。20代半ばまで、ステージ漬けの日々でしたね。

編集部:わ~、憧れちゃいます。私はそこから「遅れた世代」なので、多くの著名なミュージシャンが当時の米軍基地で音楽的に多大な影響を受けた話を語っているのを読んだり聞いたりして、子ども心にとてもうらやましく思いました。基地のFMラジオを受信しようとして、できなかったり(笑)。

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マツオ:とにかくすごい時代でしたよ。でも私は、ステージで歌うのが嫌でね(苦笑)。ずーっと辞めたいと思っていました。

編集部:えー! 嫌だったんですか!?

マツオ:はい。音楽は好きなんですよ。でも、毎日毎日ものすごいプレッシャーでした。お客さんは本場の音楽を知っているアメリカ人、しかも戦争で生きるか死ぬかの局面を切り抜けてきた人たちばかり。そんな人たちを納得させる音楽って、ものすごいレベルじゃなきゃいけないんですよ。少しでも下手をすると、お酒のボトルが飛んできますから。ステージは夜の7時から朝の4時までぶっ通しで、体力的にもきつかった。でもやっぱりプレッシャーがすごかったですね。

編集部:まるで映画のワンシーンのようですね。当時はどんな音楽を?

マツオ:ロックからジャズ、R&B、何でもやりましたよ。何でもできなきゃいけなかったんです。辞めてからノートを数えてみたら、1500曲ありました。すべて歌詞も覚えなきゃいけないし、とにかくつらかった。26歳の時、喘息になってしまったんです。それで療養もかねて、生まれ育ったグアムに戻ることにしたんですよ。その後に父の故郷であるハワイに来て、今に至ります。

編集部:その後の音楽活動は、どのように?

マツオ:それからは、自分の好きな音楽を、自分のためにやろうと思ったんです。基地のステージでは、プレッシャーもすごかったけど、それより何より、他人のために歌うのがつらかったので。でも不思議なもので、それまで毎日毎日ステージ漬け、音楽まみれの生活だったのに、自分で曲を作れるかどうか半信半疑だったんですよ。「1カ月で1曲できたら続けよう、1カ月経って何も浮かばなかったらやめよう」と思ってスタートしたら、スッと曲ができたんです。そこから外に出せるような形にするまでには、途方もない時間がかかるんですが(笑)。

編集部:英語圏でずっと育ってきたマツオさんですが、今回のアルバム「この歌が生まれた時に」では日本語で歌っていて、ちょっと意外というか、面白いなと思いました。

マツオ:日本語と英語では、違う曲になるんです。日本語は母音が多いので、バラードっぽい曲調に向いているし、英語はジャズなどにしっくり馴染みます。言葉の文化が音楽にも出るんですね。私はまず作曲してから、そこに歌詞を乗せるのですが、今回のアルバムでは人生を語るような内容にしたいと思ったので、リズムの曲ではなく、「聴かせる曲」になりました。

編集部:じーっと集中しなくても歌詞がスッと胸に染みこんでくるのは、まさに「聴かせる曲」という言葉にぴったりですね。先ほど「個性をそぎ落とし、まっすぐ歌う」とおっしゃっていましたが、そのせいもあるかもしれません。

マツオ:普通は、上手く歌おうとか、自分らしさを出そう、個性を出そうと思いますよね? でも私は、まっすぐに歌うのが一番だと思うんです。ステージバンド時代、熱があってフラフラで、でもステージで歌わなきゃいけない時があったんですが、熱があるから全力で歌えないですよね。ところが終わってみると「今日よかったね」って言われて(笑)。ああ、リキんだらダメなんだ、力を抜いて、ありのままに歌うのが良いんだと、その時に気づいたんです。でもじつは、力を抜いて自然にやるのがいちばん難しいんですけどね。

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編集部:You Tubeのコメントでは、多くの方が絶賛されていますね。日本のハワイアン・イベントなどでマツオさんの歌う姿をご覧になった方も多いようです。個性を押し付けないのに、多くの人の心に残っているというのは、それだけ本物なんだという感じがします。

マツオ:ありがとうございます。私の曲は、白いキャンパス。聴く方それぞれが、好きなように色をつけてくだされば良いと思っています。「こんな風に聴いてほしい、これが私の音楽です、メッセージです」なんて押し付けがましいことはありません。みなさん人生それぞれ、感じ方も人それぞれですから。

編集部:やっぱり「聴く人が主役」なんですね。今日はどうもありがとうございました!

■■■インタビューを終えて...■■■
おだやかで落ち着いた口調で語ってくれた、マツオさん。「曲は白いキャンパス」「個性を押し付けない」という謙虚で真摯な姿勢の中に、音楽への深く熱い思いを感じました。今回の新アルバム「この歌が生まれた時に」に続き、さらに新しいアルバムも準備中だとか。今後の活躍に注目ですね!

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