アロハ! ケイです。
先月のことですが、「太平洋航空博物館パールハーバー」を訪れてきました。有名な「真珠湾攻撃」の当時、戦闘機を収容する格納庫として利用されていた建物が博物館となり、多数の戦闘機が展示されている場所です。
この写真もそのひとつ、日本の零戦です。こうしてパールハーバーの米軍基地内にある博物館に、零戦が展示されている背景を思うと、ひと言に「わ〜、すごい」とは言えない心持ちです。
この展示では、ハワイに関わりのあるひとりの日本軍パイロットが零戦に乗り込む瞬間が再現されています。真珠湾攻撃直後に、ハワイ諸島の小さな島「ニイハウ島」に不時着し、その後殉職した西開地重徳・一等飛行兵曹です。
零戦に乗り込む西開地一等曹の展示の近くでは、ニイハウ島に不時着した際の零戦の残骸も展示されています。この残骸から発見された「木製の名札」が、その時から75年後のこの夏、愛媛県今治市在住の西開地一等曹の遺族に返還されたそうです。
こちらは太平洋航空博物館のケネス・デホフ館長。
今回は特別に館長室にて、零戦から遺品を発見した米軍人の家族の依頼で、はるばる愛媛県を訪れた際のお話しをしてくださいました。
発見された遺品である木製の名札。じつは西開地一等曹のものではなく、航空母艦「飛龍」の乗組員のものではないかと推察されているのですが、残念ながら名前の主の遺族を見つけることができず、「最後の持ち主」であった西開地一等曹の遺族に届けられることになったそうです。
ケネス館長が木製の名札を持って、西開地一等層の弟・良忠さんを訪ねた際のお写真です。
館長は「名札の主は兄の戦友かもしれない。アメリカから遺品を持ってきてもらい感激した。きっと兄も喜んでいる」という良忠さんの言葉や、西開地一等曹がパイロットとして戦地へ赴く際、良忠さんの通う小学校の上空を旋回してくれたのが最後の姿だったという話など、直接訪ねたおかげで知ることのできた「ストーリー」に感銘を受けられたそう。
「太平洋航空博物館は、たんなる戦闘機の展示館ではなく、平和の大切さを訴える場所です。また、今回知ることのできたストーリーのように、歴史的事実の裏にある”人の物語”を語り継ぐことが使命だと思っています。」と、まっすぐな目で語ってくれたケネス館長の姿にジーンとさせられ、また、当時の出来事に対して、歴史の授業に対する苦手意識からなんとなく「知ろうとすること」から距離を置いてしまっていた自分に対して反省もしたのでした。
ケネス館長、貴重なお話をどうもありがとうございました!
館長室をあとにしたころ、ちょうどランチタイムに差しかかっていたので博物館の中にある「ラニアケア・カフェ」で食事をしました。博物館のPRの方も「おいしいって評判なんですよ!」と話されていたので、期待でワクワク。
こちらが大人気のラニアケア・カフェ店内。鉄骨むき出しの天井の下にオールドハワイな雰囲気の空間が広がっています。真珠湾攻撃の時代のハワイをイメージしているそうですよ。
私がいただいたのはマヒマヒバーガー。
しっとりしている「アタリ」のマヒマヒを味わうことができました。ポテトも揚げたてでおいしかった〜!一緒にいた担当営業YはグアバBBQチキンプレートをチョイス。
特製グアバソースがたっぷりかかった、ボリューム満点のプレート。お肉がジューシーでやわらかかったそうです。メニュー数も豊富で、博物館のカフェのレベルを超えた本格派でびっくりなラニアケア・カフェでした。
パールハーバーを訪れる際はぜひ太平洋航空博物館を、そしてラニアケア・カフェにもお立ち寄りください〜!
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