「カメハメハ決戦の地」ヌウアヌ・パリ展望台

「カメハメハ決戦の地」ヌウアヌ・パリ展望台

ハワイの歴史・文化に詳しいライター・森出じゅんさんのコラム第28回。今回は、オアフ軍が壊滅した世紀の戦いの跡地「ヌウアヌ・パリ展望台」に関するお話です。

公開日:2022.07.29

森出じゅんのハワイ歴史&神話散歩

オアフ軍が壊滅した
世紀の戦いの跡地

Aloha! ホノルル在住の森出じゅんです。

ハワイ文化に焦点を当て、ちょっと意外なハワイの横顔を紹介するこのコラム。今回は、カメハメハ大王のオアフ島侵攻をテーマにお届けします。

ホノルルのヌウアヌ・パリ展望台といえば風光明媚、かつ強風のメッカとして知られますが、文化的にも大変、重要なスポット。ハワイ島出身のカメハメハ大王によるオアフ島征服の決戦地となったのが、ほかならぬこの場所だからです。つまり一帯にはディープな歴史が眠っているわけですが、眠っているのは「歴史」だけではありません(詳しくは後述)。以下、ヌウアヌ・パリ展望台を含むカメハメハのオアフ侵攻の軌跡をたどっていくことにしましょう。

1795年のこと。ハワイ島のカメハメハ率いるカヌーの大軍団が、ワイキキ周辺に到着しました。その数、なんと1,200隻。1万4,000人もの戦士がオアフ島に上陸したといわれます。当時オアフ島を統治していたのは、元々マウイ島の首長だったカラニクプレでした。その5年前、カメハメハ軍に攻め込まれてマウイ島が陥落し、カラニクプレは命からがら、支配下にあったオアフ島に逃げていたのです。

カメハメハ軍のワイキキ上陸の様子を描いた、ハーブ・カネの作品(ロイヤルハワイアンホテル内)

カメハメハ軍はオアフ軍が待ち受けるヌウアヌ渓谷を目指して行軍し、まず、かつてホノルル美術館の近くにあったカネラアウヘイアウ(祭祈場)で両軍が激突しました。人数で勝るカメハメハ軍はオアフ軍を蹴散らしながら、さらに渓谷奥へと進みます。ヌウアヌの丘の中腹(現在、王家の霊廟「ロイヤルモザリアム」がある一角)でも大きな戦闘があり、今もロイヤルモザリアムの敷地には、オアフ軍が大砲を地面に固定したという太い鎖が残されています。

今も残るオアフ軍の鎖

勝敗を分けた
山頂の大砲

続いて両軍は「エマ王妃の夏の離宮」の隣、今はヌウアヌ・バレーパークが広がる場所で交戦。公園はプイヴァロードに面していますが、Puiwaとは、ハワイ語で「驚いて飛びあがる」との意味。そこで激しい砲撃戦があったことから、その地名がついたと言われています。

こうしてオアフ軍を追いつめていったカメハメハ軍。ところが思わぬ事態に直面し、カメハメハ軍は大変な危機に陥ることに! なんとヌウアヌの山の頂きにオアフ軍の大砲が備えられ、砲撃してきたのです。オアフ軍は山頂に2つの大きな溝を掘り、大砲を設置していたのでした。

ここで戦況が一転してもおかしくなかったところですが、やはりカメハメハというのは、天才的な戦術家ですね。勇猛な戦士を山頂に送り、大砲を乗っ取ることに成功しました。一説によるとカメハメハ軍の戦士はマノア渓谷から尾根伝いに、ヌウアヌ山頂までやってきたそうです。ヌウアヌからマノアまでは、車で走っても15分ほどかかります。しかもトレイルなどない山を登り、マノアの山からヌウアヌの山頂まで戻るのは、生やさしいことではなかったでしょう。山頂で大砲を操っていたオアフ軍の戦士たちも、そこでカメハメハ軍の急襲を受けるとは想定外だったに違いありません。

以下の写真で見ていただけますが、大砲が置かれていたヌウアヌ山頂の溝は、大きい方が幅約9メートル、深さ3.6メートルほど。山頂での戦闘を仕掛けたカメハメハ軍もあっぱれなら、強風の吹く山頂でそれだけの溝を掘ったオアフ軍も大したもの。この山頂の溝はパリ・ハイウェイから肉眼で見ることができるので、ヌウアヌ・パリ展望台への入口が近づいた頃、ぜひ正面の山を見上げてみてください。明らかに人工的な四角い溝なのですぐにわかるはずです。

 

古戦場にまつわる
四方山話

なお決戦場となったヌウアヌ・パリには今、展望台が作られ、周囲は州立公園として整備されています。眼下にカイルアの街や大海原が眺められる展望台は絶景スポットである一方、高さ300メートルものその崖から、数千人のオアフ軍戦士が落ちて死んだとされています。その数については400人説から3,000人説までありますが、1897年に崖下の道路が建設された際、800体の白骨が見つかったことを考えると、数百人規模でなかったのは確か。今でも崖下でハイカーの捜索など行われると、古い白骨が発見されたりするそうです。…冒頭で「そこに眠っているのは『歴史』だけではない」と書いたのは、このこと、つまり、一帯にはまだ戦士の遺体が眠っている…と言いたかったのでした。

展望台からカイルア方面を眺めたところ

戦いの様子を描いたハーブ・カネの作品(説明ボードより)

最後になりましたが、「ヌウアヌ・パリ」について書くのであれば怪奇譚を抜かすわけにいきませんね。暑気払いに、少しだけ怖い話をご紹介して話を締めくくりましょう。まずヌウアヌ・パリの峠をドライブする時、豚肉を持っていてはいけないというのは、有名な話。昔は特別な食糧だった豚を求めて、戦士の霊が車を止めるから…というのがその理由です。これはオアフ島在住者なら誰でも知っている怪談で、皆さんも耳にしたことがあるのではないでしょうか?

一方、私が知人から聞いたのはこちら。知人が高校時代、肝試しに深夜の展望台を訪れた時のことです(注:現在は夕方6時に閉園となります)。展望台を後にしてしばらくすると、同行者の一人が妙なことを言ったそうです。「いつの間にか入口に銅像が立てられたんだね」。その友人は駐車場入口の両脇に人影が立っているのを見て、てっきり銅像だと思ったとか。もちろん深夜の展望台付近には人っ子一人いませんでしたし、今も昔も、銅像などないのですが…。もしかしたらそれは敵の襲来を見張る、オアフ軍戦士の霊(残像?)だったのカモしれません。

実際、展望台付近に限らず、激しい戦闘の地となったヌウアヌ渓谷のあちこちに、いろいろな話が囁かれています。そんなこともあり、ヌウアヌ渓谷にある某仏教寺院の住職さんは、ヌウアヌの戦いでの死傷者のため鎮魂の儀式をしたいとおっしゃっていました。寺院の周辺も戦場だったので、というのがその理由。あまり詳しくはお話しになりませんでしたが…。

そんなわけで、もし皆さんがヌウアヌ・パリ展望台を訪問することになったなら、豚肉を持って行かないのはもちろん、そこが古戦場だったことを意識して見学していただけたら嬉しいです。強風のメッカですから、上着も忘れずにお出かけくださいね!

 

 


 

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森出じゅん/JUN MORIDE プロフィール

オアフ島ホノルル在住。横浜出身。青山学院大学法学部卒業後、新聞・雑誌・広告のライターとして活動。1990年、ハワイ移住。フリーランスのジャーナリストとして活動するかたわら、ハワイの文化や歴史、神話・伝説、民間伝承を研究中。単に「美しいハワイ」にとどまらないハワイの奥深い魅力、真の姿を日本に発信すべく、執筆を続ける。2012年からハワイ州観光局の文化啓蒙プログラム「アロハプログラム」講師。著書に「ミステリアスハワイ」(ソニーマガジンズ刊)、「ハワイの不思議なお話」(文踊社刊)、「やさしくひも解くハワイ神話」(フィルムアート社)、「Hawaii 神秘の物語と楽園の絶景ーハワイの人々が愛する100の神話」(パイインターナショナル刊)がある。

☆ブログ「森出じゅんのハワイ生活」>>

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