意外な神話&歴史スポット、ケワロベイソンパーク
ハワイの歴史・文化に詳しいライター・森出じゅんさんのコラム第37回。今回はワード地区海側の臨海公園「ケワロベイソンパーク」をテーマにお届けします。
公開日:2024.01.30
アラモアナビーチパークに隣接する
ロコ御用達の公園の横顔Aloha! ホノルル在住の森出じゅんです。
ハワイ文化に焦点を当て、ちょっと意外なハワイの横顔を紹介するこのコラム、今回はワード地区海側の臨海公園「ケワロベイソンパーク」をテーマにお届けします。「え? 聞いたことがない公園だな」と思った方もいるかもしれませんが、同公園はアラモアナビーチパークのすぐ西隣。アラモアナビーチパークとの境界も曖昧なので、知らずに歩いたことのある人もいるかもしれません(そんな位置関係です)。
ケワロベイソンパークはロコ御用達のごく小さな公園ではありますが、ぜひ紹介したいと思った理由が2つ。ここにはハワイ神話にまつわるユニークなオブジェと、私が尊敬する聖女の銅像があるためです。特に神話にちなんだオブジェはハワイで大変、少ないだけに、それを初めて見た瞬間、私の目はキラリ! と輝いたはず。広大なアラモアナビーチパークに銅像など文化的見所が皆無なのと、対照的ですね。あまりメジャーな公園ではありませんが、そんなわけで今回、こちらをご紹介することになりました。
親切なハワイアンと
フクロウの神が出会った地まず公園の基礎知識から…。ケワロベイソンパークが造られたのは、1920年代。昔、一帯は浅瀬のリーフでしたが、近隣のホノルル港が小型マグロ船(日本発祥の「サンパン」)で混みあったため、大規模工事を経てこちらがサンパンの波止場として整えられることになりました。1937年の新聞記事によると、200隻のサンパンがここに停まっていたこともあったとか。ですが第2次世界大戦後にサンパンは衰退し、数も激減。今ではツアーボートやチャーターボート用の波止場として賑わっています。
さて公園の見所の1つめは、公園の先端に建つ、空高く羽ばたくフクロウの彫刻です。彫刻は有名な神話「フクロウ戦争」をテーマにしたもので、高さは4mほどでしょうか。ケワロ湾が同神話の舞台の1つなので、ここに設置されたそう。以下、簡単に神話の内容を紹介しましょう。
彫刻背後の湾の向こうにはカカアコ臨海公園がある
物語は、まだ浅いラグーンだった大昔のケワロ湾に、1人のハワイアンがやってくるところから始まります。当時、ケワロの浅瀬には湿地帯が広がり、「人が寄りつかない僻地で、たくさんの野鳥が寝ぐらにする静かなところだった」そう。現在のアラモアナやワード地区からは、それこそ隔世の感がありますね。
実はこの「人が寄りつかない僻地で、たくさんの野鳥が寝ぐらにする静かな土地だった」のくだりは、「フクロウ戦争」の文中から拝借したもの。物語によるとカポイというハワイアンが草ぶき屋根の家を直すため草を探しにケワロを訪れ、湿地帯でフクロウの卵7つを見つけたとか。翌日、卵を取り戻しにやって来たフクロウに卵を返してやると、フクロウは大喜び。カポイの守り神になることを約束しました。
ところがカポイがフクロウの指示に応じてマノア渓谷に神殿を建てたことで、島の酋長を怒らせる結果に。酋長もまたワイキキに神殿を建設中で、そちらが完成するまで誰も神殿を建てるべからず、というお触れを出していたのです。
何も知らずに罪を犯したカポイは酋長の手下に引ったてられ、ワイキキで生贄にされるところでしたが、それを救ったのがフクロウでした。カポイの守り神となったフクロウは、ハワイ全島からフクロウを召集。フクロウの大群が酋長の一団を襲い、カポイを救ったのでした。
ちなみにワイキキのクヒオ・ミニパークにはこの神話をモチーフにした壁画がありますが、見たことはありますか?
クヒオ・ミニパーク(2470 Kuhio Avenue)の壁画より
神話の舞台は、このようにケワロ→マノア→ワイキキと移っていきますが、物語の発端の舞台となったケワロに、物語を記念したオブジェが建てられたのは1993年。飛行するフクロウの下に重ねられている8つのひし形は、(ハワイ中から助っ人のフクロウが集まったということで)ハワイ8島を表しているそうです。
…神話の島ハワイといえども神話にまつわる野外彫刻は、私の知る限りではマウイ島カフルイ空港に半神マウイの像があるだけ。それだけにこの彫刻を見つけた時は、妙に嬉しくなってしまったことを覚えています。彫刻はかれこれ30年もここにあるというのに、昨年まで気がつかなった私。今では週末の散歩のたびにケワロベイソンパークを訪れ、フクロウの神に挨拶することにしています。
「モロカイ島の聖女」
マリアン・コープ尼の像公園のもう1つの見所は、入口のサイン近くに佇むカソリックの尼僧、マリアン・コープの銅像です。マリアン尼は、バチカンで聖人にも認定されている聖女。ハワイの人々が深く敬愛する聖なる人でもあります。まずは、マリアン尼とハワイの繋がりについてお話ししましょう。
マリアン尼はニューヨークのシラキュース出身。ハワイやポリネシアの島々でハンセン病が流行っていた19世紀、カラカウア王の要請に応じて、ハンセン病患者の世話をするためハワイ入りしました。1883年のことです。マリアン尼は6人の修道女を率いてハワイへ。本来はすぐにニューヨークに引き返すはずが、最初に担当したホノルルのハンセン病施設のあまりにひどい状況を見て、自分も残ることにしました。
さらに5年後には、モロカイ島のハンセン病患者の隔離施設に赴任したマリアン尼一行。ベルギー出身の神父、ダミアンの跡を継ぐためです。ダミアン神父は1873年来、隔離施設を一人で管理し、自らもハンセン病に罹患。マリアン尼はダミアン神父の後継者であり、その最期を看取ったのもマリアン尼でした。一行はそのまま隔離施設で奉仕生活を続け、マリアン尼は1918年、モロカイ島で80年の尊い生涯を閉じています。
そんな功績から2009年、まずダミアン神父がバチカンの聖人に。続いて3年後、マリアン尼も聖人の列に加わっています。マリアン尼がハワイで最初に赴任したのがワード地区の隔離施設だったため、施設跡地にごく近いケワロベイソンパークに銅像が建てられたのでした(ダミアン神父の銅像はダウンタウンのハワイ州政庁前に建っています)。
海の際に建つマリアン尼の銅像はそれほど大きくはありませんが、マリアン尼のエネルギッシュな生きざまを反映し、一歩前に踏み出した姿が印象的。その視線のはるか先には、モロカイ島があります。銅像横の碑文には、「私はいかなる病いも恐れない」とのマリアン尼の力強い言葉も記されています。
以上のように、意外な歴史と神話に彩られたケワロベイソンパーク。アラモアナセンターやワードヴィレッジといった商業施設からも歩いてすぐなので、ぜひ訪れていただきたいスポットです。公園は地元家族のお気に入りの場所であり、早朝から釣り人やサーファー、ピクニック客が何組も。ハワイらしい緩やかな空気も、一緒に楽しんでみてくださいね。
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森出じゅん/JUN MORIDE プロフィール
- オアフ島ホノルル在住。横浜出身。青山学院大学法学部卒業後、新聞・雑誌・広告のライターとして活動。1990年、ハワイ移住。フリーランスのジャーナリストとして活動するかたわら、ハワイの文化や歴史、神話・伝説、民間伝承を研究中。単に「美しいハワイ」にとどまらないハワイの奥深い魅力、真の姿を日本に発信すべく、執筆を続ける。2012年からハワイ州観光局の文化啓蒙プログラム「アロハプログラム」講師。著書に「ミステリアスハワイ」(ソニーマガジンズ刊)、「ハワイの不思議なお話」(文踊社刊)、「やさしくひも解くハワイ神話」(フィルムアート社)、「Hawaii 神秘の物語と楽園の絶景ーハワイの人々が愛する100の神話」(パイインターナショナル刊)がある。
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