カイルア周辺の神話&歴史スポット探訪
ハワイの歴史・文化に詳しいライター・森出じゅんさんのコラム。記念すべき!40回めとなる今回は、人気タウン「カイルア」の知る人ぞ知る過去に焦点を当てて紹介します。
公開日:2024.07.31
カイルアの繁栄と豊穣を
祈願したウルポ神殿跡ALOHA! ホノルル在住の森出じゅんです。
ハワイ文化に焦点を当て、ちょっと意外なハワイの横顔を紹介するこのコラム、今回はホノルルからコオラウ山脈を越えて行く人気タウン、カイルアがテーマ。カイルアにはオアフ島指折りの美しい白砂のビーチに加え、洒落たショップやカフェが集まり、観光客にも話題のエリアですね。そこで記念すべき! 今シリーズ第40回目となる今回は、カイルアの知る人ぞ知る過去に焦点を当てて紹介していきます。
カイルアの史跡巡りを考えた時、まず頭に浮かぶのが豊穣と平和の神ロノを祀る神殿、ウルポ神殿です。造られた時期ははっきりしていませんが、15世紀のオアフ島大酋長、カクヒヘヴァの時代にはすでにその名が島中に轟いていたよう。
神殿の一辺は40m以上もあり、かなりの大きさ。今では土台の石垣部分だけが残りますが、その岩々はカイルアから20㎞以上離れたクアロアや、40㎞以上離れたエヴァ地方から運ばれたことがわかっています。その事実1つからも、ウルポ神殿の建設が相当大がかりなプロジェクトだったことが偲ばれますね。
カイルアのYMCAに隣接している。神殿内には入場不可
往時のウルポ神殿には数々の神像や、供物を捧げる塔、カフナ(神官)が神託を受けるための塔などが並び、神殿の太鼓が遠方まで響きわたっていたとか。神殿は地域の豊穣と繁栄を祈願するための、カイルアを代表する神殿だったのです。
その後、島の各地で戦いが相次いでいた17世紀、カクヒヘヴァの子孫である酋長クアリイは、豊穣と平和の神ロノの神殿から戦いの神クーを祀る神殿に趣旨変え。ですが今では神殿周辺にタロイモやサトウキビ、パンノキ、ククイ、ノニなど古代ハワイの生活を支えた植物が植えられ、ロノ神が祀られていた平和な時代のウルポ神殿の様子が再現されています。
ハワイアンの主食タロイモのほか数々の植物が実る
王族も食した食用の泥の
名産地だった湿地帯とは?カイルアでもう1つ見逃せないのが、ウルポ神殿の裏手に広がるカヴァイヌイ湿地帯。ハワイ最大の淡水湿地帯で、カヴァイヌイという名そのものも「大きな水、偉大な水」を意味しています。湿地の底からは珊瑚や砂が見つかっており、約4000年前まではカネオヘ湾と同じようなラグーンだったとか。ラグーンは山からの沈殿物のため年月とともに縮小し、タロイモ畑や養魚池に造り変えられ、土地のハワイアンの食生活を支えてきたのでした。
今では湿地帯がハワイ州管轄の野鳥保護区ともなっている
いわばカイルアの食の恵みの源だったカヴァイヌイ湿地帯ですが、なんと食用の泥が採れたことで、その名をハワイ中に知られていました。18世紀末、カメハメハ大王と戦士たちもその泥を食べたとか。とはいえその泥は、戦時中の非常食のような不味いものだったわけでもないようです。1872年にはカメハメハ大王のひ孫であるパウアヒ王女の一行が、その泥を食しにカヴァイヌイ湿地帯まで出かけたというニュースが、当時の新聞に掲載されています(1872年10月26日付けのハワイ語紙「クアオカ」)。
王女らはカヌーで湿地帯に繰り出し、食用の泥の収穫も見学。泥を堪能したといいますから、飢餓食というより一種の特別な珍味だったよう。それはプルプルしたジェラチン状のものだったそうで、それは一帯が海だった時代の名残り、たとえば海藻の1種だった可能性もありますね。
食用の泥が収穫できたのはハワイでもカヴァイヌイ湿地帯だけでしたが、一帯がさまざまな沈殿物に埋もれた今、稀少な泥が採れなくなってしまったのは残念です。
大とかげの半神モオが守っていた
2つめの養魚池、カエレプル池さらにカヴァイヌイ湿地帯は、ハウワヒネと呼ばれる大とかげの半神モオの守る地としても知られていました。モオは、湿地帯のほか滝壺や川といった淡水を守るハワイ神話上の半神。ハウワヒネは時に美しい女性の姿でも人前に姿を現し、近くのカエレプル養魚池に棲むモオと協力しながら、カイルアを見守っていたということです。
ちなみにカエレプル養魚池とは、現在のエンチャンテッドレイク(池)のこと。池の周辺は高級住宅地となっていますが、その住宅が囲む池はかつて養魚池だったのですね。こちらも昔はカイルアの食の基盤をなす大切な養殖池として、半神モオが守っていたのだそうです(カヴァイヌイ湿地帯とカエレプル池は、細い川で繋がれています)。
住宅地に囲まれているため、住民を除いてカエレプル池を目にするのは難しいですが、池から流れるカエレプル川はカイルア・ビーチパークで海に注いでいます。ビーチ沿いでカエレプル川を望みながら、半神モオが守る流れの源をどうぞ想像してみてください。
カイルアビーチに注ぐカエレプル川。バズズ・オリジナルステーキハウスのすぐ近く
天を衝く巨人の下半身が山に。
オロマナ山の巨人伝説とは?最後に紹介するのは、巨人伝説の残るオロマナ山。カイルアの広い地域から見え、ある方向からはまるでM字型の山、またよく見ると3つの頂きがあるため英語でスリーピークス(3つの頂き)と呼ばれることも。伝説によればかつて一帯を支配していた巨人の下半身が山になったものだそうです。
巨人の名はオロマナ。オロマナは東海岸の広範囲を支配下に置き、島の酋長さえその陣地を侵すことはできませんでした。ですがある時、酋長の依頼を受けた英雄パリラがオロマナ退治に挑戦。パリラはカウアイ島からやって来た勇猛な戦士で、その母は神の血を引いていました。
パリラを前にさすがのオロマナも命乞いをしましたが許されず、パリラはオロマナを腰の部分で真っ二つに。その下半身が、オロマナ山(標高500m)になったとか。オロマナは天を衝くほどの巨人だったのですね。
パリハイウェイ・オーバールックから見たオロマナ山
オロマナ山はカイルアのあちこちから見えますが、ホノルルからの山越えの道、パリハイウェイにもビューポイントがあります。ホノルルからカイルアに向かう途中、カイルア寄りのトンネルを超えてすぐの小さな見晴台(パリハイウェイ・オーバールック)もその1つ。どうぞカイルア側の絶景とともにオロマナ山を眺めながら、いにしえの巨人の姿を思い描いてみてください!
なおこの記事で触れたカイルアの逸話のほとんどは最新刊「史跡と神話の舞台をホロホロ! ハワイカルチャーさんぽ」(地球の歩き方シリーズ)でも取り上げています。ぜひお手に取ってご覧ください。以下の神話関連書籍2冊も、どうぞよろしくお願いいたします。
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Hawaii 神秘の物語と楽園の絶景
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やさしくひも解くハワイ神話
\ 最新刊「ハワイカルチャーさんぽ」は3月に発売されたばかり。 /
「やさしくひも解くハワイ神話」は現在4刷目、「Hawaii 神秘の物語と楽園の絶景」(現在、アロハストリート横浜店でも好評発売中!)は2刷目が出来あがりました!
森出じゅん/JUN MORIDE プロフィール
- オアフ島ホノルル在住。横浜出身。青山学院大学法学部卒業後、新聞・雑誌・広告のライターとして活動。1990年、ハワイ移住。フリーランスのジャーナリストとして活動するかたわら、ハワイの文化や歴史、神話・伝説、民間伝承を研究中。単に「美しいハワイ」にとどまらないハワイの奥深い魅力、真の姿を日本に発信すべく、執筆を続ける。2012年からハワイ州観光局の文化啓蒙プログラム「アロハプログラム」講師。著書に「ミステリアスハワイ」(ソニーマガジンズ刊)、「ハワイの不思議なお話」(文踊社刊)、「やさしくひも解くハワイ神話」(フィルムアート社)、「Hawaii 神秘の物語と楽園の絶景ーハワイの人々が愛する100の神話」(パイインターナショナル刊)がある。
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