薄幸の美女、カイウラニ王女を偲ぶカルチャーさんぽ

薄幸の美女、カイウラニ王女を偲ぶカルチャーさんぽ

ハワイの歴史・文化に詳しいライター・森出じゅんさんのコラム第42回。今回はハワイの人々が愛するプリンセス、カイウラニ王女にちなんだスポットについてのお話です。

公開日:2024.11.29

森出じゅんのハワイ歴史&神話散歩

世が世ならハワイの女王。
薄幸の王女、カイウラニとは?

ALOHA! ホノルル在住の森出じゅんです。

ハワイ文化に焦点を当て、ちょっと意外なハワイの横顔を紹介するこのコラム。これまでは「土地」を切り口に島の過去を巡ってきましたが、今回は「人」が焦点。ハワイの人々がこよなく愛する薄幸のプリンセス、カイウラニ王女にちなんだスポットを紹介します。その前に、まずはカイウラニ王女の人生を簡単に振り返ってみましょう。

カイウラニ王女はハワイ王国7代目君主のカラカウア王、そして妹で8代目君主のリリウオカラニ女王の姪。2人の妹だったリケリケ王女と、スコットランド出身の夫、クレッグホーン氏の一人娘でした。子供を持たなかったリリウオカラニはカイウラニを跡継ぎに指名していたので、世が世ならハワイ王国の女王になっていたという高貴な女性です。

 

Photo Courtesy of Hawaii State Archives

クレッグホーンは、王国政府の要職も務めた実業家。カイウラニは子供時代から美しいお姫さまとして島中で愛され、クレッグホーンと親交のあったスコットランド人作家、スティーブンソンはカイウラニを「島の薔薇」と称えた詩を書いています。

ですが母を11歳で亡くした後、カイウラニの人生は暗転していきます。13歳でイギリスに留学したものの、18歳の時(1893)に白人勢力のクーデターによってハワイ王国が崩壊。カイウラニはハワイに帰国しましたが、故郷での生活も長くは続きませんでした。ハワイ島ワイメアで乗馬中に雨に打たれたことで病いに倒れ、1899年に死去。第9代目君主になることがなかったばかりか、わずか23歳で亡くなっています。薄幸の王女と呼ばれる由縁です。

 

ワイキキで育ったカイウラニ。
そのゆかりのスポットを巡る

このカイウラニが人生の大半を過ごしたのが、ワイキキ。カラカウア通り沿いにあるプリンセス・カイウラニホテル周辺の土地はかつて、カイウラニの所有地でした。後見人だったルース王女(カメハメハ大王のひ孫)が、カイウラニの出生時にこの土地を贈ったのです。同ホテルがカイウラニの名を冠しているのはそのため。ロビーのあちこちにカイウラニ一家の写真や肖像画が飾られ、カイウラニの存在をまざまざと感じられるホテルといえるでしょう。

 

屋敷の敷地は12000坪強の広さがあり、正確にいえば今のクヒオ通り周辺から海辺(モアナ・サーフライダーの建つ地)まで広がっていました。ビクトリア朝の2階建ての屋敷を囲んで広い庭園が広がり、3つの蓮池を中心に500本の椰子やバナナ、マンゴーの木、巨大なバニヤンツリー、色とりどりの南国の花々が植えられていたとか。庭園はリケリケ王女によって「アイナハウ」と名づけられ、「ハワイ諸島で一番美しい土地」と呼ばれることもあったそうです(リケリケはこの地を謳った「アイナハウ」という名曲を残しています)。

 

アイナハウの屋敷(右上)と子供時代のカイウラニ&両親(プリンセスカイウラニホテルの展示より)

 

またプリンセス・カイウラニホテルの山側に建つアウトリガー・ワイキキ・パラダイスホテルも、アイナハウ跡に建つホテルの1つ。以前はオハナ・ワイキキ・イーストとして知られていましたが、大掛かりな改装を経て11月に改名し、再オープン。この世の楽園と謳われたアイナハウ跡に建っていることから、「パラダイス」との言葉が新ホテル名に取り入れられたそうです。館内には常に、カイウラニゆかりのピカケの花(ジャスミンの一種。詳しくは後述)の香が、センサーによって定期的に放出されているというから素敵ですね。

 

アウトリガー・ワイキキ・パラダイスホテル

このホテルのダイヤモンドヘッド側には、小さな公園があり、その名もプリンセス・カイウラニ・トライアングルと呼ばれます。一説によると広大なアイナハウのなかでも、まさに公園の辺りに屋敷があったとか。公園には可憐なカイウラニの銅像が建ち、今なお銅像に花やレイを捧げる人が後を絶ちません。

 

ちなみに銅像の足元に孔雀があしらわれているのは、実際にアイナハウで孔雀が飼われていたから。50羽の孔雀が放し飼いにされ、カイウラニが可愛がっていました。銅像の下には、ハワイ語で「孔雀」との意味を持つピカケの花が咲いています。このようにさまざまな意味でピカケは、カイウラニゆかりの花といえるでしょう(なのでアウトリガー・ワイキキ・パラダイスホテルでは、ピカケの花の香をチョイスしているのですね)

 

実はワイキキの外にもある
カイウラニ「ゆかり」の地

前述のように、カイウラニは人生の大半をアイナハウで過ごしましたが、実はその生誕地はホノルル・ダウンタウン。アイナハウに移り住む前、一家はカメハメハ大王像やイオラニ宮殿から徒歩15分ほどの、パンチボウル通り沿いの邸宅で暮らしていました。今ではそこに、会員制のクラブ「パシフィッククラブ」があります。

同クラブにはレストランや屋内外のパーティ会場、プールやテニスコートなどがあり、会員の多くがダウンタウン周辺の企業やビジネスマン。施設自体は後年、建てられたものでカイウラニが暮らした家は残っていませんが、施設を囲む植物群に、当時の名残りがあるとはいえそうです。一家が暮らしていた1870年代、アイナハウほどではなくとも、その敷地にはやはり見事な庭園が広がっていました。

 

今も広い敷地内には大きな樹木が茂り、鬱蒼とした雰囲気が漂う

というのもカイウラニの父、クレッグホーンは造園業を営んでいたその父と同じく園芸&造園にも長け、実業家・政治家としての顔のほか、造園の才能でも知られていました。第24回「19世紀の歴史秘話の舞台、緑の公園トーマススクエア」で紹介したトーマススクエアも、クレッグホーンが手がけたもの。同公園は噴水の上にそびえる巨大なバニヤンツリーが有名ですが、この巨木はアイナハウのバニヤンツリーから枝分けされたものとか。そういった意味ではトーマススクエアもまた、カイウラニ「ゆかり」の地といえるのかもしれません。

 

ワイキキにあったカイウラニ王女の邸宅から枝分けされたバニヤンの樹

以上のように、カイウラニゆかりの地があちこちに残るホノルル。カイウラニをテーマに歴史散歩を楽しんで見るのも一興です。なおカイウラニが埋葬されているのは、ダウンタウン山側のヌウアヌにある王家の霊廟。カイウラニの誕生日である1016日には毎年、霊廟で式典が開かれ、多くの市民が薄幸の王女を偲びます。もし時間があれば、王家の霊廟にもぜひ足を伸ばしてみてください。

 


 

\ 最新刊「ハワイカルチャーさんぽ」は3月に発売されたばかり。 /
「やさしくひも解くハワイ神話」は現在4刷目、「Hawaii 神秘の物語と楽園の絶景」(現在、アロハストリート横浜店でも好評発売中!)は2刷目が出来あがりました!

  • Hawaii 神秘の物語と楽園の絶景

  • やさしくひも解くハワイ神話

森出じゅん/JUN MORIDE プロフィール

オアフ島ホノルル在住。横浜出身。青山学院大学法学部卒業後、新聞・雑誌・広告のライターとして活動。1990年、ハワイ移住。フリーランスのジャーナリストとして活動するかたわら、ハワイの文化や歴史、神話・伝説、民間伝承を研究中。単に「美しいハワイ」にとどまらないハワイの奥深い魅力、真の姿を日本に発信すべく、執筆を続ける。2012年からハワイ州観光局の文化啓蒙プログラム「アロハプログラム」講師。著書に「ミステリアスハワイ」(ソニーマガジンズ刊)、「ハワイの不思議なお話」(文踊社刊)、「やさしくひも解くハワイ神話」(フィルムアート社)、「Hawaii 神秘の物語と楽園の絶景ーハワイの人々が愛する100の神話」(パイインターナショナル刊)がある。

☆ブログ「森出じゅんのハワイ生活」>>

☆ハワイ州観光局アロハプログラム>>

この記事に関連するキーワード
  • この記事をあとでまた
    みたい場合は、
    マイページにクリップ!
  • クリップする

この記事をお友達にシェアしよう!

まとめ記事一覧
キーワードから探す
ジャンルから探す
島・エリアから探す
島・エリア
CLOSE
CLOSE
お店を探す
ジャンルから探す
島・エリアから探す
目的別一覧ページ
はじめての方へ
CLOSE
CLOSE
page top